こんにちは、木崎 誠です。
今回は僕がいつの間にか抱いていた、根本的過ぎて自覚していなかった思い込みについて書き出していきます。
すべての判断基準にお金が存在していた
僕はなにをするにも効率的にできるか、無駄にならないか、他者と比較してうまくいっているか、と考える癖があります。
自覚した今でも、油断するとつい考えてしまうほどです。
効率的にしたいと考えるだけであれば良いことにも思えますが、何事にも限度があります。
いわゆるコスパを高めること。それに強い執着を覚えているようです。
なぜお金を最重要視しているのか
実家で暮らしていたころ、僕は過保護・過干渉気味の親の元に育ちました。
身の回りのことはだいたい親が決めて、整えられている。
挑戦も失敗もしない、強い言い方をすれば飼い殺し状態だったかと思います。
初の自立のチャンスは大学入学時
初めての自立のチャンスは大学入学の時でした。
大学の近くへ一人暮らしをする選択肢があったのです。
しかし僕はその選択肢を選ぶことができませんでした。
今まで経験したことのない家事などの生活面の不安。
一人暮らしをするなら金銭的援助は行わない。
一人暮らしが大変で学業に支障をきたす可能性。
様々な不安要素を伝えられ、挑戦も失敗も経験不足な僕には大きすぎる壁に感じてしまったのです。
今思うと、本当にもったいないことをしました。
2度目のチャンスは社会に出たとき
2度目のチャンスは新社会人になった時です。
数か月働いた後、給料が振り込まれた口座を見て、ふと思いました。
「あれ?この金額があったら家賃も問題なく払えるし、一人暮らしできるぞ?」
そう思った僕は、今までの不安をかき消すように大急ぎで一人暮らしを始めました。
仕事を通して、自分にもいろいろなことができる、と自信をつけていたのも関係があるかもしれません。
自らの興味をたどる読書で得た知識「ラットレース」
一人暮らしを始めて、急速に主体性が育ちました。
生活に自由が生まれたのです。
生まれて初めての気分でした。身の回りのことの大半を、自分の意志で決めることができたのです。
その期間に行ったことはよく記憶に残っています。
特に、「金持ち父さん貧乏父さん」という本を読んだ衝撃は忘れません。
その本で紹介されていた、労働が終わることのない「ラットレース」を知り、このまま定年まで働いているのは嫌だ、とさらなる自由を求めました。
僕の自由のきっかけだったお金
実家からの脱出も、初めて得た未来の自由を形成するための知識も、お金に関するものでした。
まだまだ主体性が弱く自分の意志が貧弱だった僕には、実体験も目新しい知識も強く印象に残ったのでしょう。
「お金が自由を作るんだ」
こう深く思い込むことになりました。
この思い込みはつい最近まで自覚することはありませんでした。
なぜなら、この思い込みはきっと、その時の僕に必要な考え方だったからです。
実家という抜け出したい環境から出る手段も、さらなる自由を得る手段も、お金が必要だという認識でした。
実際に人生で初めての自由を実感したこともあり、正しい面があったのです。
しかし、お金最優先の生き方では、人生のどこかで破綻する気がしています。
かつて必要だった考え方は、今は不要になったのです。
内省を深め、この思い込みを捨て、新しい価値観で生きていきたいと考えています。
コメント